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特急「日本海」HM

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イメージ 1

京都鉄道博物館にて

京都鉄道博物館の本館で撮影した寝台特急「日本海」のヘッドマーク。色々な列車のヘッドマークを展示したコーナーの中に「日本海」もありました。

大阪駅に発着していた列車であり、何度も撮影に出掛けたので馴染みのある列車ですね。ただ自分がよく見た「日本海」のヘッドマークとは少し違うタイプです。

こちらは紺色の背景に白波が表現され、列車名と星のマークに黄色が使用されていますが、自分がよく見かけたのは比較的薄い青に銀色の「日本海」表記と星、金色の「NIHONKAI」表記が配置されたものでした。

今回の配色のヘッドマークはあまり使われていなかったのか、古い写真を探してみてもなかなか見つかりませんね。とはいえこちらの方が夜間は目立って良いのかも知れません。

「日本海」の名を冠する列車は1950年に登場しました。1947年に運行を開始した大阪~青森間の急行列車に命名する形で登場し、1968年まで運行されています。

1968年のヨンサントオダイヤ改正で特急列車に昇格、同区間の急行として「きたぐに」が設定されます。この時の客車は20系、機関車はEF65・DE10若しくはDD50・ED70・DD51でした。

その後は日本海縦貫線の電化の進展や機関車配置の変更などにより牽引機が変わり、EF65がEF58に置き換わるという逆転現象も見られたようです。

1975年に湖西線が開業し、米原経由から湖西線経由に変更されます。客車は14系客車となり、牽引機も大阪~秋田間がEF81、秋田~青森間がED75の2種類となります。

また季節臨として1往復が増発され、2往復体制となります。この季節臨は1978年に定期列車となり、2往復とも24系客車による運行となりました。1982年には一旦A寝台車が無いモノクラス編成となっています。

1987年に国鉄が分割民営化されると、JR西日本とJR東日本が1往復ずつ客車を受け持つ列車となり、翌1988年に青函トンネルが開業するとJR西日本管轄の「日本海」は函館まで乗り入れるようになりました。

また同時にJR東日本管轄の「日本海」にA寝台車が復活しています。JR西日本の「日本海」にA寝台車が復活したのは1998年。「瀬戸」廃止によるA寝台個室シングルデラックスの捻出によるものでした。

2006年に函館乗り入れが廃止、次いで2008年にJR東日本管轄の「日本海」が廃止となり、1往復体制とされます。また残った1往復の受け持ちはJR西日本からJR東日本に変更されました。

そして2012年3月16日発の列車をもって廃止。以降は臨時列車として運行されましたが、2013年冬以来設定されておらず、客車も廃車となっているため実質的に廃止となっています。

なお1975年~1985年の間は国鉄合理化のためヘッドマークが掲示されていなかったようですね。また583系による臨時運行が行われたこともあり、また違ったデザインのヘッドマークが使用されていたようです。


・・・以上、客車の運用は広域すぎるな。鉄道員日記がお送りしました。

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