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Channel: 鉄道員日記(ぽっぽやにっき)
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特急「なは」HM

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京都鉄道博物館にて

京都鉄道博物館の本館で展示されていた特急「なは」のヘッドマーク。色々な列車の機関車用ヘッドマークを集めて展示しているコーナーがあり、その一角に「なは」もありました。

「なは」と言えば寝台特急のイメージが強いですが、運行開始時は昼行の特急列車でした。元々は京都~九州方面を結んでいた特急「かもめ」で、キハ82系による運行でした。

1968年10月のダイヤ改正で「かもめ」の京都~西鹿児島間の列車が分離され、新たに「なは」の列車名が与えられました。使用車両は変わらずキハ82系で、大阪~小倉間で宮崎発着の「日向」と併結していました。

「なは」という列車名は当時まだアメリカの占領下であった沖縄の那覇市が由来で、本土復帰を願ったキャンペーンで公募されました。他の候補には「おきなわ」「しゅり」「でいご」「ひめゆり」があったようですね。

1973年に電車化されて485系による単独運行となり、1975年に山陽新幹線が博多まで開業すると新大阪~西鹿児島間の「あかつき」1往復を電車化した583系による夜行列車となりました。

1978年には京都~西鹿児島間に運行区間が延長され、同時にイラストマークが導入されています。1980年に京都発着の「なは」が廃止となり新大阪発着の「明星」1往復が「なは」に変更されました。

1984年のダイヤ改正で使用車両が24系客車となり客車列車化され、それまで同じく間を走っていた客車列車の「明星」とのはっきりとした区別が無くなりました。その後「明星」は1986年に臨時化されています。

そして国鉄分割民営化を迎え、1990年に普通車指定席「レガートシート」を、1991年にB寝台個室「デュエット」、1992年にB寝台個室「ソロ」を導入し多様なニーズに対応した編成となります。

1997年の「はやぶさ」運行区間短縮により「なは」は西鹿児島まで乗り入れる唯一の寝台特急となりました。しかし2004年に九州新幹線が開業し、「なは」は熊本発着に変更されています。

2005年には「彗星」廃止に伴い「彗星」と併結していた「あかつき」との併結運行が始まり、運行区間が京都~熊本間となります。そして2008年3月14日発をもって廃止。

関西~九州を結ぶ寝台特急で最後まで単独運転を行っていたのが「なは」であり、「あかつき」と共に最後まで残った関西対九州の寝台特急でした。

ヘッドマークは単独運転時代に使用されていた物で、青をベースに南国らしい植物の葉がデザインされていますね。黄色い文字が青いベースによく映えています。短い列車名で、それ故に印象的ですね。


・・・以上、EF65PFが付けてるイメージ。ef_end_63がお送りしました。

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